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そうそう。著作権といえば、こんなニュースが。 tablet PC P88 というタブレット型のネットブックを開発、販売している中国企業が、Apple の iPad を見て、
デッドコピー品だ
と言っているとかいないとかいうニュース(http://wiredvision.jp/news/201002/2010020221.html)。
当該中国企業の社長は、Apple社はマルチタッチ式タブレットというコンセプトだけでなく、ケースや画面の縁取りのデザインまでコピーした
と主張しているそうなのだが、そもそもiPhoneが先行では? という質問に対しては、P88はiPhoneなどとは関係がない、機能が違う、と言っているらしい。だったら iPad も同じじゃないの? とも思うが。
外見の異同ということなら、件の記事にある写真からすると、随分違って見えるけれども??
なお、この記事によれば、P88は、マルチタッチでもないそうで、結局、この社長が何を言いたいのかよく分からないらしい。一種の宣伝行為ではないかというのが件の記事の著者の分析だった。
あんまり変な宣伝行為だと、日本の場合、不正競争的な側面がでてくる気がするけれども、中国では大丈夫なんだろうか。大丈夫なんだろうなぁ。
今回の稽古では「キャスター=風見鶏理論」と「悪魔の手の内」というのがたいへんに興味深かった。
武道でいう「機」というのは「待たない、懸からない」ということだが、これを甲野先生は「構造」としてとらえている。
キャスターは抵抗がいちばん大きい方向に車輪が向かって、抵抗を最小にする。
風見鶏は風が吹き付ける方向にまっすぐ向かう。
攻撃の入力があったときに、それに防衛的に反応するのではなく、攻撃の入力そのものを「自分自身の運動の材料」にして立ち上がる動きを以て応じる。
防衛的、反撃的に考えると、「攻撃を逃れる」という体制になる。
そうではなくて、「攻撃」そのものを滋養として成り立つ体制をつくる。
キャスターや風見鶏には「こころ」はない。
けれども、入力に遅滞なく反応する。
そのような構造になっているからである。
理屈はむずかしくないが、そのような「キャスター的」構造を身体的にどう構築するのかというのは非常にむずかしい。
合気道的にはまことに興味深い課題である。
たとえば「気迫さえあれば、竹槍でB29ぐらい余裕で撃墜できる」なんて怒鳴る軍人がいたとして、その人に「具体的に気迫を見せて下さい」と言ったら、たぶん殴られる。実際にB29が来たとして、竹槍構えて、撃墜できなかったら、やっぱり「気迫が足りない」と怒鳴られる。気迫はどこにも見えないのに、それは「ある」ものであって、それを根拠、現場は怒鳴られたり、殴られたりする。自分たちの業界には、「ない」ことになっているんだけれど明確に「ある」、責任というものがあって、毎年何人か、これに潰されて仕事を辞める。
「・・・」
避けようのない事態があって、その時に重たい「責任」が発生することは、きっと誰もが分かっているはずなのに、こういうのは「医学的には避けようがない」ことで、「きちんと説明すれば、患者さんは分かってくれる」ことになっていて、世の中にはだから、「責任」なんてものは、そもそも存在しないことになっている。
「ない」ものを恐れるのは馬鹿で、みんな馬鹿だと言われるのは嫌だから、責任の話は語られない。語られないけれど、それはやっぱり「ある」ものだから、こういう患者さんが来たときには、まずは他の病院を探す。患者さんと、ついでに「責任」という得体の知れないものと、一緒に引き取ってほしいから。

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